私と猫の700日間 ―後編―
チビちゃんと出合って3回目の春がやってきました。出合ったころの面影は残りつつも、顔つきはすっかり成猫です。滞在時間は短くなりましたが、毎日必ずパトロールに来てくれ、なでなでしてあげると、推定わずか2歳にして貫禄のある座り方で相変わらず気持ち良さそうに喉を鳴らしてくれます。
ある日、チビちゃんが顔や手に傷をつくって現れました。きっと縄張り争いに巻き込まれたのでしょう。動物病院に連れて行こうか、これをきっかけに家猫にしようかと主人を交えて家族会議を開きました。結果はどちらもNO。野良は野良の運命を辿るんだということで、心苦しいですが引き続き見守ることに。夏が過ぎた頃には、チビちゃんもあの白猫も、私の前に現れることはなくなったのでした。
季節は変わり、秋も深まったころ、久しぶりに現れたチビちゃんは、なんと、首輪をしていました。
どこかに飼われてしまったのかな……。。。と思うと、好きだった人が結婚してしまったような、そんな感じになりました。嬉しいような寂しいような。
首輪が外れていることが長らく続いていたので、チビちゃんの安全を確保するためにも、首輪を新調してあげました。そして、手紙をくくりつけました。
「我が家では、チビちゃんと呼んでいます」
数日後、チビちゃんは手紙を携えて現れました。そこには子どもの文字でこう書かれていました。
「我が家では、ニャン吉と呼んでいます」
我が家ではチビちゃん、手紙の送り主の家ではニャン吉。呼び方は違うけれど、どちらの家でも愛されていることは事実です。それからも数回手紙を送り合い、まるで文通のようなささやかな楽しみを運んでくれました。
別れの季節
4度目の春。私の前にチビちゃんが現れることはすっかりなくなりました。ニャン吉として大切に育てられてるのかな、暖かいお家で過ごしているのかな。そう思いながらどこか寂しげな庭でチビちゃんの影を探していました。
子猫から成長を見続けてきた身としては、子が親離れするような気持ちになったことは否めませんが、チビちゃんが幸せに暮らしているのであれば私も嬉しい限りです。
しばらくの間、似ている猫を見掛けると「チビちゃん!」と呼んでしまう我が家でした。